芦津のスギ天然林と智頭林業

芦津のスギ天然林の現況

日本のスギの天然林は、北は青森県の鯵ヶ沢から南は鹿児島県の屋久島にまで、特に日本海側に沿って分布しています。林業的には太平洋側に分布するスギをオモテスギ、日本海側に分布するスギをウラスギとよびます。

智頭町の沖ノ山スギは典型的なウラスギです。智頭町芦津地区のスギ天然林は、東部の若桜町に隣接する東山とうせん(1388m)から鳴滝山なるたきやま(1287m)の稜線を境として、南西斜面に広がっています。


智頭町芦津のスギ天然林

なお、智頭町の沖ノ山(1318m)の位置は南の岡山県英田郡西粟倉村に接する県境に近く、東山、鳴滝山とは直線で約5.5km離れています。智頭林業には「沖ノ山スギ」という名称は残っていますが、現在の沖ノ山周辺のスギ天然林はそれほど多くはありません。

ウラスギは冬季の積雪の影響を強く受けるため、下枝が雪によって地面に圧着され、やがて発根して栄養繁殖します。これは伏状更新と呼ばれ、多雪地帯に特徴的なスギの更新のしくみです。


スギの伏状更新

スギの天然林を遠望しますと、伏状更新によって母樹の周囲に新たな個体が発生するため、スギの個体分布はクラスター集団構造になっています。

芦津地区のスギ天然林は、その多くを芦津財産区が保有しています。芦津財産区有林は全体で1270haあり、うち天然林が682ha、スギを中心とした人工林は588haです。このうち人工林は、芦津財産区議会が芦津地区民を中心とした作業組織を編成し、さまざまな林業機械を駆使して自伐型林業方式による森林の経営管理と木材生産を行っています。芦津財産区の天然林は、西端で「沖ノ山国有林59林班」に隣接しています。この林班は面積が88.16haの天然林で、全体が「沖ノ山林木遺伝資源保存林(沖ノ山スギ・ブナ・トチノキ等遺伝資源希少個体群保護林)」に指定されています。

智頭林業の発達と沖ノ山スギ

智頭林業の勃興期である明治時代以降、天然林から採取した種子や挿し穂が苗木の生産に用いられ、地域品種の「沖ノ山スギ」として育成されてきました。特に挿し木は伏状更新した個体の枝を挿し穂として用いられました。挿し穂を切り取る枝は2年以上の年輪が確認でき、樹皮が褐色を呈するために「赤挿し」と呼ばれました。この手法の開発は文政~天保期の大庄屋・石谷源左衛門によって完成され、明治中期に活躍した石谷源蔵、大呂甚平によって一般化されたものです。

東山山頂近くで、倒木の枝から多くの新しい木が成長し始めているところを目撃しました。


倒木から新しい木が生長

このような「若木」や、伏状更新した新しい個体は生理的に若返っています。通常、老木の枝を挿し木しても、カルスとよばれるこぶが切り口にできるばかりで、ほとんど発根しません。しかし、このように若返った新しい個体から採取した枝を挿し木すれば、発根してきちんと育っていきます。昔、このような枝を採取して回った経験のある古老のお話では、一日に千本ほどの枝を採取して持ち帰ったものだそうです。持ち帰った挿し穂は流水に1週間ほど漬けて置き、田の隅に日覆いをして挿し付け、苗木を作りました。

しかし赤挿しでは多くの苗木が得られません。そこで挿し木は、採穂園などの造成と相まって当年生シュートのみを用いた「青挿し」がもっぱら用いられるようになり、苗木の量産が可能になりました。つまり智頭では、勃興期から天然スギを用いた挿し木林業の性格を持つ林業地として発展したのです。

その母樹となった天然スギは、今もなお、現存します。以下の写真はそのうちの最大級の個体です(標高1170m、北緯35度17分43秒、東経134度22分26秒)。


沖ノ山スギの母樹

このスギは樹高25.5m、胸高周囲7.69m(胸高直径2.0m)です。また樹齢は、約400年生の慶長スギの直径を大きく上回ることから、500年以上と推定しました。しかし天然スギは初期成長がきわめてゆっくり進みますので、もっと古いかもしれません。この樹幹は、かつて地上5mほどの位置で大きな損傷を受けた可能性があります。損傷後には、新たな萌芽シュートが複数立ち上がり、成長して現在の樹冠を形成しています。また幹の下部には空洞があり、外部から容易に空洞内に入ることができます。心材部は腐朽していて内部に木部の腐植が堆積しています。さらに内側の木部表面は、落雷によるものとみられる炭化した部位が確認できます。しかし、このような空洞があるにもかかわらず、樹幹は多くの葉を有しており、おおむね健全な状態にあるといえましょう。

沖ノ山スギ天然林の問題

この天然林では、この20年ほどの間にニホンジカの個体数が急激に増加しており大きな影響をおよぼすようになりました。シカはさまざまな植物を採食するとともに、山頂近くのスギを若木、老木の区別なく樹皮を剥いて餌とします。このため、幹を一周して剥皮された多くの個体が立ち枯れています。


シカによる天然スギの剥皮

芦津のスギ天然林の林床にはチシマザサ(いわゆるネマガリダケ)が優占していました。スギの樹皮や広葉樹の若木の葉を採食するシカはチシマザサの葉も大量に消費します。ササの葉は硬いが無毒であり、シカが好む餌資源となっています。チシマザサはかんの高さが2mにもなりますが、被食圧の高まりによって現在では20~30cmほどに抑制されています。場所によってはほとんど枯死したところもあります。シカの採食によってササの群落の草丈が低くなると、シカが採食しないイワヒメワラビが分布域を拡大しており、遠望すると草原のような植生となったところが広がっています。


イワヒメワラビの繁茂

以上のようなシカ害については、吉野熊野国立公園の大台ケ原の植生変化に関する多くの論文が紹介されています。大台ケ原でのシカ害の増加は1959年の伊勢湾台風に端を発しますが、1982年ごろからトウヒの枯死が目立つようになりました。芦津の天然林の一部もまた、大台ケ原に匹敵するほどの景観に変わりつつあります。

スギの多くは、樹齢やサイズを問わず、シカ害の影響を強く受けており、剥皮による衰弱・枯損が顕著です。したがって幼齢木の個体数も極めて少なく、更新はほとんど進行していません。また全体的にブナが優占する森林ではありますが、ブナの稚幼樹もほとんど見いだせません。さらに矮化したチシマザサとイワヒメワラビが密生する草原のような植生景観は大台ケ原の枯死トウヒ林のミヤコザサ群落拡大に類似しています。この結果、ブナ、ミズナラ等の更新にも、シカの強い被食圧と密生するイワヒメワラビ等の被陰による負荷がかかっており、木本植物の種の多様性は低下しつつあるといわざるを得ません。

沖ノ山スギの保存

芦津のスギ天然林はシカ害の蔓延とともに衰退傾向にあると考えます。これには、(1)スギが樹齢を問わずシカによる剥皮被害を受けている、(2)若齢木が少ないことから、実生の幼稚樹がシカの食害を受けている、等の理由をあげることができます。またスギばかりでなく、有毒なアセビやコハクウンボクなどを除き、多くの広葉樹も剥皮や幼稚樹の食害が観察されています。

したがってスギを中心とした芦津の天然林の保存には、シカの食害木の個々を手当てすることは不可能なことから、捕獲や食肉の利用拡大を図るなど、シカ密度を低下させるための迂遠な手段を取らざるを得ないでしょう。

さらに沖ノ山スギの積極的保存と智頭林業の興隆に資する赤挿し苗育成技術復活の実験的試みを行ってみることも、ひとつの創意かもしれません。

芦津の巨木

芦津天然林を構成する主な高木種はスギとブナです。またミズナラ、ミズメなどの広葉樹とともに、ヒノキの天然木が中腹の支尾根に散見されます。また沢を下るとトチノキが多く出現する。天然スギの巨木以外にも、特異なところでは極めて大きなオヒョウの個体(樹高31.5m、胸高周囲5.46m、標高830m、北緯35度16分43秒、東経134度20分23秒)を見ることができます。


日本最大級のオヒョウ

このような巨大なオヒョウは個体数の多い北海道にも見当たらず、これまで最大とされたのは新潟県の直径1.4mの個体であった。つまり、芦津のオヒョウの巨木は、日本の最大個体といえるかもしれません。

このオヒョウ以外に、ミズナラ(樹高25m、胸高周囲5.9m)、ホオノキ(樹高35m、胸高周囲4.94m)、トチノキ(樹高32m、胸高周囲6.82m)、クリ(樹高25m、胸高周囲5.28m)などの広葉樹の巨木を確認しています。さらに針葉樹でもスギばかりでなく、ヒノキも樹幹の形状は複雑ながら、大きな個体(樹高25m、胸高周囲4.88m)を観察しています。


ミズナラ


ホオノキ


トチノキ


クリ


ヒノキ

このような巨木群の存在は、この天然林が長らく人間の介入を受けることなく発達を遂げてきたことを示しています。つまり芦津の天然林は、中国地方亜高山の天然林の植生を現在に残す、学術的にも極めて貴重な場所ということが出来ましょう。

まとめ

  1. 智頭町芦津地区にはスギ、ブナが優占する希少な天然林が存在する。このスギの存在が、智頭林業の源泉となった。
  2. 芦津の天然スギは多雪地帯のため、伏状更新で栄養繁殖する特性を持つ。
  3. 芦津の天然スギは「沖ノ山スギ」と呼ばれる智頭林業のスギ品種の由来となっており、その母樹も現存する。
  4. 沖ノ山スギはかつて、伏状更新したスギから採取した挿し穂によって増殖が計られ、いわゆる赤挿し苗として生産された。
  5. 芦津の天然林の植生は1990年ごろから急増したニホンジカの食害によって急速に劣化し、更新が強く阻害されている。また、天然スギも樹皮や幼稚樹の食害を強く受け、枯損木が増加しつつある。
  6. 沖ノ山スギの保存にはシカ密度を低下させることが必要である。
  7. 芦津には日本最大級のオヒョウなど、多くの巨木が生育しており、中国地方の亜高山の天然林植生を現在に残す、学術に貴重な森林である。
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山本福壽

智頭の山人塾 塾長。鳥取大学乾燥地研究センター・特任教授。農学博士。2016 年より鳥取県智頭町に移住し、塾長に就任。

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