鳥取の天然スギ林が危ない

2020年10月8日現在、新型コロナウィルスの感染者は世界の累計で3510万9317人、そのうち死者は103万5341人です。感染者、死者が最も多いのはアメリカで、次いでブラジルです。アメリカではトランプ大統領も現在、感染療養中です(2020年10月6日時点)。死者はアメリカが20万5000人、ブラジルが14万2000人を越えました。日本では第2波の山を過ぎましたが、感染者の累計は8万6629人、死者は1610人です。なお、鳥取での感染者は36人で死者は今のところゼロです。

日本のスギの天然林は、北は青森県の鯵ヶ沢から南は鹿児島県の屋久島にまで、特に日本海側に沿って分布しています。沖ノ山杉(おきのやますぎ)として知られている智頭町芦津地区のスギ天然林は、東部の若桜町に隣接する東山(とうせん、1388m)から鳴滝山(なるたきやま、1287.3m)の稜線を境として、南西斜面に広がっています。なお、智頭町の沖ノ山(1318m)の位置は南の岡山県英田郡西粟倉村に接する県境に近く、東山、鳴滝山とは直線で約5.5km離れています。智頭林業には「沖ノ山杉」という名称は残っていますが、現在の沖ノ山周辺のスギ天然林はそれほど多くはありません。おそらく、昔は名前が残るほどですから、たくさんあったのでしょうね。

芦津地区のスギ天然林は、その多くを芦津財産区が保有しています。芦津財産区有林は全体で1270haあり、うち天然林が682ha、スギを中心とした人工林は588haです。このうち人工林は、芦津財産区議会が芦津地区民を中心とした作業組織を編成し、さまざまな林業機械を駆使して自伐型林業方式による森林の経営管理と木材生産を行っています。

財産区の天然林は、西端で「沖ノ山国有林59林班」に隣接しています。2019年のコラム「スギと日本人」でも紹介しましたが、この林班は面積が88.16haの天然林で、全体が「沖ノ山林木遺伝資源保存林(沖ノ山スギ・ブナ・トチノキ等遺伝資源希少個体群保護林)」に指定されています。この地域の主な高木種はスギとブナが優占し、ミズナラ、ミズメ、トチノキなどの広葉樹とともに、ヒノキの天然木が乾いた尾根筋に出てきます。

智頭林業の勃興期である明治時代以降、天然林から採取した種子や挿し穂が苗木の生産に用いられ、地域品種の「沖ノ山杉」として育成されてきましたが、今もなお、その母樹が生き残っています。


沖ノ山杉の母樹

このスギは胸高直径約2m、樹高は20mを越え、樹齢は500年ほどと推定できます。また鳴滝山に向かう斜面の尾根には天然のヒノキが散見されます。これらのヒノキはかなりの老木ですが、通直な単幹を持つものが少なく、複数の樹幹が立ち上がって曲がりくねり、実にねじけた形をしています。


ヒノキの天然木

この天然林はブナが優占しており、ブナとスギによって構成される植生、といっても言い過ぎではありません。ところが、この20年ほどの間に、芦津地区もまたニホンジカの個体数が急激に増えてきており、大きな影響をおよぼすようになってきました。これは2018年1月のコラム「獣害とジビエ」にも取り上げて書いております。シカはさまざまな植物を採食するとともに、山頂近くのスギは若木、老木の区別なく樹皮を剥いて食べています。このため、幹を一周して食害された多くの個体が立ち枯れてしまっています。


枯れる東山のスギ


シカによって環状に剥皮されたスギの枯死木


剥皮されたスギと丈の低いチシマザサ

芦津のスギ天然林の林床にはチシマザサ、いわゆるネマガリダケが優占しています。スギの樹皮や広葉樹の若木の葉を採食するシカはチシマザサの葉も大量に消費します。葉は硬いのですが毒がなく、シカが最も好む食糧です。チシマザサは稈(かん)の高さが2mにもなりますが、どんどん食べられた結果、現在では20~30cmほどに抑制されてしまいました。場所によってはほとんど枯死したところもあります。シカの採食によってササの群落の草丈が低くなると、シカが嫌うイワヒメワラビが定着し、遠望すると草原のような植生となったところが広がっています。


繁茂するイワヒメワラビ

以上のようなシカ害の状況は、吉野熊野国立公園の大台ケ原について多くの論文が紹介されました(例えば田村省二ら、環境情報科学 学術研究論文集 28, 2014)。大台ケ原でシカ害が増えたきっかけは1959年の伊勢湾台風にまでさかのぼれるとのことですが、1982年ごろから、トウヒの枯死が目立つようになりました。かつて、初めてその話を聞いたときは、「それは特殊な地域の話であって、智頭ではそんなことは起きないだろう」、と高をくくっていたものです。ところが今や、芦津の天然林の風景は、あちこちで“大台ケ原化“している、というのが現状です。

スギの多くは、樹齢やサイズを問わず、シカ害の影響を強く受けており、剥皮による衰弱・枯損が顕著です。したがって幼齢木の個体数も極めて少なく、更新はほとんど進行していません。また全体的にブナが優占する森林ではありますが、ブナの稚幼樹もほとんど見いだされません。さらにシカの食害は林床植生にも及んでおり、矮化したチシマザサとイワヒメワラビが密生する草原のような植生が広がっています。これは大台ケ原の枯死したトウヒ林のミヤコザサ群落拡大とほとんど同じです。この結果、ブナ、ミズナラ等の更新にも、シカの強い被食圧と密生する草本層の被陰による負荷がかかっており、木本植物の種の多様性はどんどん低下しつつあるといわざるを得ません。

「日本オオカミ協会」という組織があり、大台ケ原などにオオカミを放獣すれば、シカ密度が減少して植生が復活する、と主張しています。アメリカのイェローストーン国立公園では、絶滅させてしまったオオカミの再導入が1995年から行われ、過剰に増えてしまったアメリカアカシカ(エルク、ワピティ)の個体数の減少に成功しました。またシカの過剰摂食による植生の劣化も、オオカミ導入によって回復してきたようです。

四国の半分ほど、鳥取県の2.6倍もの面積を持つイェローストーン国立公園では、オオカミの再導入が効果をもたらしたことは十分理解できます。しかし、集落と山が接している狭い日本の山間地では、オオカミを入れたらシカ問題はすべて解決されてめでたしめでたし、のような簡単なものではないでしょう。たとえオオカミによってシカ問題が解決したとしても、その後、新たな、さまざまな生態的後遺症も予想されます。このようにシカ問題は、今のところ狩猟圧の強化による密度低下以外、解決策がなかなか見いだせないままでいるのが現状です。皆さん、なにか良い知恵はありませんか?

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山本福壽

智頭の山人塾 塾長。鳥取大学乾燥地研究センター・特任教授。農学博士。2016 年より鳥取県智頭町に移住し、塾長に就任。

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