智頭の縄文文化(智頭枕田遺跡)

鳥取県の遺跡

鳥取県には、西伯郡大山町の大山を望む丘陵に妻木晩田(むきばんだ)遺跡が、また鳥取市青谷町には青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡があります。

妻木晩田遺跡は、大和によって支配される以前の古代出雲の集落遺跡で、佐賀県の吉野ケ里遺跡に匹敵する広大なエリアを占めています。また青谷上寺地遺跡は、多くの土器、金属器、木器や殺傷痕のあるたくさんの人骨が出土しています。

これらの遺跡は古墳時代に入ると突然、消滅したことが明らかになっています。おそらく、倭国大乱や大和による出雲の侵略を物語るものでしょう。

なお、2018年10月19日のNHKニュースによりますと、青谷の人骨のDNAが解析され、虐殺された人々は大陸から直接、渡来した人たちだったことが分かりました。それでは手を下した連中はいったいだれだったのでしょうか。

さて、これらの遺跡は弥生時代のものですが、鳥取にはもう一つの重要な遺跡があります。

それが智頭の智頭枕田遺跡です。

ここでは縄文時代から平安時代までの集落遺構やさまざまな土器などが出土し、西日本最大級の遺跡と考えられています。惜しいことに智頭病院建設のために、住居跡などの遺跡の重要な場所は取り壊されてしまいました。しかし、未発掘の場所が周囲にあり、これから何が出てくるかわかりません。

歴史オタクの私としては、智頭枕田遺跡は青森の三内丸山遺跡に匹敵する縄文遺跡と考えており、きちんと発掘されれば、日本の歴史を塗り替える可能性もあります。

遺跡からは「石囲埋甕炉(いしがこいまいおうろ)」と呼ばれる遺構が確認されています。これは大型のカメ(甕)を炉の中心に据え、周りから火を焚いて湯を沸かした遺構です。

出土物の中でも最も古いカメは、8000年も前のものです。

さて、彼らは大きなカメで湯を沸かして何をしていたのでしょうか。

特に重要だったのは、煮炊きによる食材加工、つまり、トチノキやドングリなどの木の実、そのほかさまざまな植物のあく(灰汁)抜きでした。

土器の発明

縄文時代は1万5000年以上も前に始まりました。

旧石器時代から縄文時代に移っていく時代の最大のイノベーションは、土器の発明でしょう。

初期のヒト属ホモ・エレクトスが火を日常的に利用していた証拠は、約12万5000年前の遺跡で確認されています。火はタンパク質や炭水化物を食べやすく、消化しやすくすることができます。

ホモ・エレクトスの時代から現生人類ホモ・サピエンスの旧石器時代までの数十万年の間、火を使った料理とは、食材を焼くことだったのです。しかし、焼いて食べることのできる食材は極めて少なく、獣肉、魚類、イモ類などに限られていました。

ところが縄文時代からは、水を沸騰させてゆでる、煮る、蒸すなどの加工が可能になり、これまで苦くて食べられなかった有毒の木の実などの植物質の食材がどんどん利用できるようになりました。

ほとんどの野生植物はトゲを持つ、組織を硬くする、毒物を蓄積する、などにより動物に食べられないようにしています。イネ科の植物はほとんど毒を持ちませんが、その代り、硬い組織で抵抗しています。

これに対してウシのような草食獣は反芻(はんすう)する能力を獲得し、4つの胃袋で微生物を使って硬い植物体を消化するように進化してきました。一方、毒物に対しては、例えばタンニン(フェノール物質)の多いドングリを食べるネズミやクマは、毒物を分解する酵素を体内に持っています。また反芻獣のシカは、一種類の植物を食べ続けて体に毒を溜めこまないよう、つまみ食いのように多種類の植物を食べます。

でも人間は、このような植物の防御戦略を打ち破るような能力を発達させることはなかったのです。

しかし、ホモ・サピエンスは巨大な脳を完成させていました。世界でもっとも早い時期に土器を発明した縄文人は、熱湯でゆでることによって植物の毒を抜き、また食べやすくする技術を、発達した脳によって開発したのです。

あく(灰汁)抜きとは

植物をゆでる、と簡単に書きましたが、ただゆでるだけでは植物の毒はなかなか無くなりません。

例えば山菜で人気の高いワラビは、プタキロサイドという強烈な発がん物質を持つ毒草です。ワラビは単に熱湯でゆでただけでは強い苦みが残り、毒は抜けません。ゆでることによる毒抜きの技術には、もう一つの大きな飛躍が必要でした。

それはかまどの木灰を湯の中に投げ込むことによって生まれました。灰の汁を作り、これでゆでると、多くの植物の毒性分がなくなることが発見されたのです。これがあく(灰汁)抜きです。

灰の中には多くの炭酸カリウムが含まれており、灰汁はアルカリ性になります。多くの植物の毒は酸性や中性の水には溶けず、アルカリ性の水に溶けだすために、灰汁でゆでればどんどん毒が抜けていくのです。今では木灰が簡単に手に入らないので、その代わりに重曹(炭酸水素ナトリウム)を入れてアルカリ水を作り、あく抜きをしますね。

このおかげで、縄文人の食材は飛躍的に豊かになり、数千年もの文化を維持することができました。智頭で今も行われているトチの実のあく抜きもまた、遠い先祖が開発した技術が、連綿として伝えられてきたものなのです。したがって智頭には少なくとも8000年も前から現在にまでつながる生活文化があるということでしょう。

これは7000年前の古代エジプト文明発祥よりも古いのです。

文化とは

このようなあく抜き法でも、食材にはならない有毒植物もたくさんあります。

植物毒は強いものから弱いものまで多様ですが、特に窒素化合物であるアルカロイドは致死性のものから薬効を持つものまでさまざまです。

またトチノキやエゴノキの実に含まれるサポニンは、界面活性作用によって胃壁などの粘膜を溶かしてしまうことから、危険な毒物です。

さらにシキミに含まれるアニサチンはこれらと異なる化学構造を持つ最も危険な毒物です。シキミの実は植物で唯一、劇物に指定されています。

智頭の渓流沿いに多いトリカブトはアコニチンという致死的な猛毒のアルカロイドが含まれており、恐ろしい植物です。

春の柔らかい若芽は山菜に間違えられそうな姿です。

しかし縄文人直系の子孫であるアイヌの人々はこの毒を矢じりに塗り付け、仕掛け弓によってヒグマを倒し、貴重なたんぱく源としてきた歴史を持っています。

こうして縄文人はさんざん苦労してさまざまな植物の特徴を調べつくし、食材、薬草、毒物などとして利用する文化を築き上げてきました。

その過程はおそらく、失敗の連続だったでしょう。伝説の漢方薬の神様である神農(しんのう)は、「百草なめて一薬を知る」というトライアル アンド エラーで薬草を探したそうです。東北のキノコ食文化では、ケカチ(飢渇)とよばれる大飢饉が食用と有毒キノコ弁別の情報蓄積を促進しました。

このように天然の食材を開発していく過程では、いったいどれほど多くの犠牲者があったのでしょうか。文化とは、死屍累々の白骨街道の果てに築かれたものなのですね。

* 2018年8月28日修正:枕田遺跡 → 智頭枕田遺跡 / せきいまいようろ → いしがこいまいおうろ

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山本福壽

智頭の山人塾 塾長。鳥取大学乾燥地研究センター・特任教授。農学博士。2016 年より鳥取県智頭町に移住し、塾長に就任。

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