塾長の山本福壽です
私、山本福壽(やまもと ふくじゅ)は2016年の3月をもって鳥取大学農学部教授を退職しましたが、引き続き、鳥取大学の乾燥地研究センター(乾地研)で特任教授を務めています。
乾地研は海外(中国・ベトナム・スーダン等)での調査や実験研究が多く、もっぱらその仕事に従事しています。専門は主に樹木生理学です。
一方、長らく溜めてきた森林・林業の専門情報を地域社会と人々に還元することを思い立ち、智頭町に転居して「杣塾(そまじゅく)」という任意団体を設立し、勝手に「塾長」を称しはじめました。
「杣塾」という名称は、農学部に在職していた当時、学生たちと草刈りや間伐等のボランティア活動実習をしていた時の団体名でもあります。折から、地方創生や林業活性化の風を受けて智頭町と立ち上げた「智頭の山人塾」を杣塾は丸ごと引き受けることになり、今ではこの「智頭の山人塾」の看板を前面に押し立てて活動しています。
私は、関ケ原の合戦で知られている岐阜県不破郡関ケ原町大字今須の今須林業の地に、66年も前に生を受けました。何代にもわたって木挽き(こびき)や枝打ちなどの山仕事をしてきた「杣(そま)」の家の子です。
木挽きとは、前挽き大鋸(おが)でスギやヒノキの大径材を手で挽(ひ)いて、板や柱を生産する仕事です。今や帯鋸(おびのこ)などを使う大型の製材工場が発達したために、木挽き職もほとんど消滅してしまいました。また杣という語も、ほとんど消えかかっています。
今から千年以上も前、朝廷や権門が宮殿や大寺院を建てるために伐出する森林のことを杣、または杣山と呼びました。またその従事者も杣または杣人と呼ばれるようになりました。さらに伐り出された材木までも、杣と呼ばれたのです。
つまり杣とは林業を行っている山、そこで働く山人、さらに伐りだされた材木も含める広い意味を持った言葉なのです。
「智頭の山人塾」は、そのような杣にかかわるすべてのこと、つまり、森林の育成や利用、森林の生態や植物の分類、薬用~食用の植物や菌類の分類利用、山村の歴史や生活文化史、海外の森林情報、山の子の教育など、何でも入っている寄せ鍋のような塾なのです。
味は食べてのお楽しみです。
「智頭の山人塾」塾長・山本福壽
2017年8月17日
お元気ですか、さっそくホームページを開けました。
活躍されている姿を拝見して大変うれしく思っています。
今須に来た時に、また連絡ください。 吉田 儀一