渓畔林を考える
2018年7月の豪雨は、智頭町内を流れる千代川を大きな丸石だらけの荒涼とした風景にしてしまいました。
本流の豊かだった魚類などの水生動物も、洪水に続く被害箇所の復旧工事などが出す濁流のため、見る影もありません。ただ、田んぼの水路や支流では、ヨシノボリ、シマドジョウ、カジカ、カワムツ、アブラハヤなどがかろうじて残っています。これらがいつの日か、本流に戻って増殖していくのを望むばかりです。
ところで、最近、森のようちえんのYさんが、子供たちと千代川支流の渓流で活動中、石に挟まれて困っていたオオサンショウウオを助けようとしたところ、逆に噛みつかれ、手に大けがをする事故がありました。
Yさんにはお気の毒ながら、とっさに「おお、まだオオサンショウウオが無事に生き残っていたのか、ヨカッタ、ヨカッタ」と、まず感動してしまいました。Yさん、お詫びして、心からお見舞いを申し上げます。でも期待していてください。そのうち、「オオサンショウウオの恩返し」があるかもしれませんヨ。
山と渓流の恵み
動植物の豊かな渓流は、山村の大事なお宝です。涸れることのない渓流は多くの恵みを人々にもたらしてきました。
そこには生きるのに不可欠の清浄な水があります。水辺に分布するトチノキやオニグルミの種子は、食料資源として縄文時代以来の日本の食文化を支えてきました。イワナやヤマメなどの渓流魚は貴重なたんぱく源でした。
さらに渓流のカジカガエルの声は、夕方、柴を背負って山から帰ってくるおじいさんの、かけがえのない癒しとなりました。
山がもたらす恵みとは、渓流の恵みなくしては語れない、スケールの大きな恵みなのです。
渓畔林とは
さて、山から海へと流れる河川の水辺にはどのような森林が出現するでしょうか。
河川沿いに発達する水辺林を上流から見ていきますと、山地の渓流には「渓畔林(ケイハンリン)」が、扇状地を流れる河川には「山地河畔林」が、そして沖積低地の河川には「河畔林」が発達します。また釧路湿原などの過湿な低酸素土壌が広がる湿地帯では「湿地林」が発達します。
渓畔林は、山地の渓流沿いに発達する広葉樹を中心とした森林です。
渓流は洪水などの出水によって常にかく乱を受けますが、渓畔から山腹下部にかけては土壌の水分量や空中湿度が高く、トチノキ、サワグルミ、オニグルミ、シオジ、ケヤキ、イタヤカエデ、ミズナラ、ミズメ、オヒョウなどの大型の樹木からなる渓畔林が出現します。
智頭町では、芦津渓谷を歩くと、これらの大型の樹種が川ぞいに分布しているのを見ることができます。
このように広葉樹からなる豊かな渓畔林には多様な動植物が出現します。また渓流は昆虫や魚類などの水生生物相も豊かになります。
これに対して、うっそうとしたスギ林内を流れる渓流で、大きなイワナをたくさん釣ることは不可能でしょうね。
山・川・海の連環
広葉樹林が発達すると、土壌にはしっかりと有機物が蓄積し、腐植酸が増加します。
特に微量な有機酸として重要なフルボ酸が生み出されます。このフルボ酸は鉄イオンと結合してフルボ酸鉄となり、渓流を下って海に運ばれます。つまりこの有機酸は鉄を運ぶ役割を果しているのです(松永勝彦ら1998日本海水学会誌 52(5), 315-318)。
海中の藻や植物プランクトンは陸上の植物と同じように窒素を吸収して成長します。窒素の吸収は鉄が触媒するのですが、海中の鉄が少なくなりますと海藻や植物プランクトンは窒素吸収がうまくいかなくなり、その結果、枯死し、消滅してしまいます。これは「磯焼け」と呼ばれる現象です。当然、海藻や植物プランクトンのない海中では、動物プランクトンや魚介類などは生きることができず、透明な死の海となるのです。
智頭林業
林業とは、山に生育している有用な樹木を伐採収穫し、木材として利用する生業(なりわい)です。
基本的には、農業のように自分で種をまいて育て、その年のうちに収穫し利用する、という産業ではありません。農業では、作物は完全管理の下で育成されます。しかし林業では、人が植栽した樹木であっても、2世代以上にわたって50年以上もほとんど自然まかせで育成されますので、農業とは感覚がまったく違っています。林家の多くは、米や大根を栽培するように、スギやヒノキを栽培している、とは考えていません。感覚的には自然に生育している樹木を収穫しているのであって、栽培の結果、収穫している、とは思っていないでしょう。
智頭林業が勃興した背景は、芦津集落の奥にある芦津渓谷に分布するスギの天然林の存在でしょう。智頭のスギ林業もまた、スギの天然林を収穫することから始まったものと思います。
伝統的な林業地である岐阜県関ケ原町の今須林業では、樹木の伐採を「もらう」、植林を「返す」と表現しています。つまり、樹木の伐採・木材生産、再造林、保育管理という現在の林業における一連の流れの原点は、山の木をもらう、返す、から始まったものです。
太平洋戦争の終結までの混乱は、日本の森林を著しく荒廃させました。このため、戦後の国策で、スギやヒノキなどを植える拡大造林が智頭町も含めて広く行われてきました。木材とするには質の低いと考えられた広葉樹林(これを低質広葉樹林と呼びました)をどんどん切って、成長が良く、確実に成林できる針葉樹の造林が行われたのです。
新たな山林荒廃
約40年前の1980年、ヒノキの素材価格は1㎥当たり8万円ほどでした。その後、価格は低下を続け、今や2万円前後にまで落ち込んでいます。この価格差は、林業者の稼ぎに直結しますので、これが林業衰退の大きな原因となっているのです。若者は山に行かずに町に出て仕事を見つけた方が、より安定した収入が得られます。
手入れがされない造林地は高密度となって暗くなり、林床の植生が減って有機物の蓄積が無くなります。
やがて土壌がむき出しとなり、斜面ではちょっとした雨でも土が流れ出して根が裸出し、基岩が露出します。この傾向はヒノキ林で顕著です。そして植栽木は倒伏し、斜面崩壊が始まるのです。
これに加えて、増加したシカが林床の植生をどんどん食べて林地の荒廃に拍車をかけています。このような現象が今、全国的に起こりつつあります。
渓畔の広葉樹林復活
智頭のように名の知られた林業地であっても、明らかに過剰な造林が行われてきました。特に渓畔は、どこもかしこも、といっていいほど、スギ林になっています。
このような渓畔に、少しずつでも広葉樹林を復活させることはできないでしょうか。
森林土壌の発達は安定した森林の中で長い時間をかけて進行します。特に多様な樹種からなる広葉樹林は豊かな土壌が形成され、腐植酸の蓄積も多くなっていきます。これには拡大造林から今日に至った時間よりも、もっと年月を要するかもしれません。
しかし、私たちはできるだけ早いうちに決意を固め、植生の改善に着手しなければなりません。
今、うっそうとした造林地の大面積皆伐を画策する政策が進行中です。林業では伐採と更新はセットなのですが、果たして、未来の森林再生をしっかり組み込んだ皆伐がイメージされているのでしょうか。
苗木の植栽以上に、植栽木の保育管理には時間とコストがかかります。
次世代の森林育成を無視して皆伐し、山をはげ山にすれば、土壌が一気に流れ去る危険性が高まります。今後、ますます造林木の収穫伐採が進むでしょうが、山腹の土壌を劣化させ、はげ山にしてしまうような、森林再生プランのない皆伐は誠に危険といわざるを得ません。特に戦後、奥山の広葉樹林を伐採し、大面積にわたって造林を進めてきた国は、負債の解消の名のもとに、またしても国土を消耗させるような収穫伐採を行う愚を犯してはならないのです。