因州黄連

オウレン(Coptis japonica)はキンポウゲ科オウレン属の多年草です。漢字の黄連は元来、中国のシナオウレンのことで、黄色い根が連なるように発達することから命名されたものです。オウレンは北海道南西部、本州、四国に分布しており、キクバオウレン、セリバオウレン、コセリバオウレンなどの変種があります。智頭町に自生しているオウレンはセリバオウレンです。

生薬もまた黄連という漢字名で表します。漢方では黄連湯、黄連解毒湯、三黄丸、三黄瀉(しゃ)心湯などのように用いられてきました。日本の黄連の産地としては、福井県の「越前黄連」、京都府中西部の「丹波黄連」、そして鳥取県の「因州黄連」が知られていました。

寛政7年(1795年)に編纂された「因幡志」にも、因幡の国における栽培や取引の記録が残されています。昭和12年(1937年)の記録では鳥取県で約6t、現在価で約8000万円もの黄連が出荷され、そのうち、智頭町の山郷地区だけでも3000万円余の収入を上げていたようです。古老の話では、5人の娘の嫁入り道具はオウレンで稼いだお金で全部まかなったとのこと。

かつてオウレンの栽培管理はそれほど困難ではありませんでした。この植物は日陰を好みますが、ゼンマイなど他の植物が覆うようになると、それを軽く「上刈り」するだけでよかったのです。今から40年ほど前、鳥取大学の蒜山演習林(当時)のスギ林内に一畳ほど試験的な移植が行われました。それが現在では広範囲に広がっており、見渡す限りと表現できるほどです。

このようにオウレンは旺盛に種子繁殖するのですが、有効成分を多く含む太い根(一種の塊根)はなかなか発達せず、種が発芽してから10年以上たたないと収穫できません。しかし、植栽から伐採まで50年以上かかるスギ林内の日陰で栽培でき、掘り取り、粗加工に大きな筋力も必要がないことから、女性の大きな収入源でした。

智頭町東宇塚の赤堀澄江(すみえ)さんのお話によりますと、秋になると特殊なオウレンコギ(クワ、写真2)を使って株を掘り取り(写真3)、やや乾燥したのちにひげ根を焼いて「ブチ」と呼ばれる太い根系を取り出し(写真4)、日干し乾燥します。ひげ根を焼くときは、古くはアサ(麻)の軸、つまり苧殻(おがら)を用いたようです。乾燥したものを製品にするには、昔はたらいの中でもみほぐし、細根の残りやごみを取り除いていました。これを「黄連みがき」と呼びました。赤堀さんのお宅では、黄連みがきにはお父さんの辰雄さん手作りの装置が使われていました(写真5)。モーターを使って回転する箱の中で黄連は効率よくみがかれました。したがって、これら一連の作業の中では、細根をきれいに取り除くのが最も大変だったようです。


(写真2)オウレンコギ


(写真3)オウレンコギを使って掘り取ったオウレンの株


(写真4)ブチ


(写真5)オウレンみがきに使われた手作りの装置

オウレンの根にはアルカロイドの成分が多く含まれており、特にベルベリンという苦味のある黄色の物質が主成分です。根を少しかじってみますと強い苦みを感じます。この成分には唾液や胃液などの分泌を促し、食欲増進や消化を助けたり、腹痛や下痢を止めたりする効果があります。民間では眼疾、口内炎、高血圧、鼻血止めなど、万能薬として利用され、またイライラの鎮静効果も期待されました。それだけに黄連は大きな需要がありました。

ちなみに、ベルベリンは東アジアに広く分布するミカン科キハダ属のキハダの樹皮や根にも多量に含まれており、生薬名は黄檗(おうばく)として知られます。京都府宇治市の黄檗山万福寺に行きますと、門を入って右側に1本、キハダが植えられております。

智頭の主産業であった因州黄連の生産は、森林内でのシカの増加にともなう食害によって1990年(平成2年)以降、急速に衰退し、今では見る影もありません。しかし智頭では、オウレンという植物そのものが絶滅したわけではありません。よく探せば、林内にはごく小さな個体が細々と生き残っているのを見ることができます。偶然、フェンスで囲われた場所で、オウレンが息を吹き返すように成長しているのを見かけました。

そこで杣塾と智頭林業研究会は、かつての因州黄連の復活をめざして、オウレンの親株を植える運動を開始しました。フェンスで囲いさえすれば、シカは手も足も口も出すことはできません。そして、シカの生息密度を下げれば、因州黄連の復活は夢ではありません。しかしオウレンに限らず、智頭では多くの植物種が、シカの増加によって危機に瀕しています。芦津のブナ林を歩くと、林床はガランとしてブナの稚樹は見る影もなく、チラホラとシカの食べない有毒植物が残るばかりです。将来、今生きている木々が枯れたとき、芦津ははげ山ばかりになる可能性が高く、山のシカ害はきわめて深刻な状況なのです。

山本福壽

智頭の山人塾 塾長。鳥取大学乾燥地研究センター・元特任教授。農学博士。2016 年より鳥取県智頭町に移住し、塾長に就任。

2件のフィードバック

  1. 中村 剛 より:

    山本先生へ
    オウレンについてネットで調べていたところ思いがけずヒットし,興味深く拝読しました。演習林実習での橋詰先生のご説明と,2019年に山人塾で現地をご案内頂いたことを思いだしました。
    昭和から令和になって,オウレンの経済価値は変わってるのでしょうか。
    価値がそのままであれば,防シカ柵(数百万円/延長km)で栽培地維持できるかも。
    食害を受けるということは,地上部にベルベリンは含まれていない?
    蒜山演習林のオウレンは,どこから導入されたものでしょう。
    等と色々気になりましたので,またお会いした折りに,ぜひご教授ください。

  2. 山本福壽 より:

    中村様
    ご感想をいただいたことに気がつきませんでした。
    蒜山の黄連はすぐにでも出荷できるほどに育っております。
    智頭町内ではオウレンが消えたのではなく、小さな個体を散見することができます。シカ柵を作れば復活も可能でしょう。

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